それにしても織田信長、「どこまで嫌われているんだよ」とツッコミたくなってしまうくらい敵が多い。そして、裏切りも多い。対立や裏切りは戦国時代には当然のことだったが、信長の嫌われっぷり、裏切られっぷりは少しかわいそうになるくらいだ。思いつくだけでも箇条書きにしてみると…
・実弟の信行にバカ扱いされ家督を狙われて対立。
・信行の家臣が信長側に寝返ったため重用していたのに、「やっぱり信行様のほうが…」と謀反を画策される。
・傀儡にしようと思って擁立した将軍にコソコソ画策されて信長包囲網を形成される。そしてそれに応える武将多数。
・外交手段にと温存していた美人な妹を嫁に出してまで味方にし、可愛がっていた義弟に「昔からの同盟のほうが大事だから」と裏切られる
・一度謀反を起こした家臣(松永久秀)を許したのに、また謀反を起こされる。
・織田軍の団長にするほど重用した重臣に反旗を翻される。
・贈り物をしまくって「これでうちがすることには目を瞑っていてください」とペコペコしていた相手(武田信玄や上杉謙信)に挙兵される
・信頼していた重臣・明智光秀に謀反を起こされて殺される。
このように信長は何度も家臣や同盟国から裏切られている。しかし、“冷酷・残忍”というイメージを持たれている信長、実はそんな裏切り者を許すことも多かった。先に述べた松永久秀などは二度目の裏切りの際にも「平蜘蛛(有名な茶器)を渡したら許してやる」と言っている(松永はそれに反して平蜘蛛もろとも爆死してしまったのだが…)。また、信長がかなりショックを受けた裏切りの相手・浅井長政に対しても、再三降伏するように勧めている。お市の方の身を案じたこともあるだろうが、長政を高く評価していたこともあるのだろう。その他には、鬼の柴田で知られる信長の重臣・柴田勝家も、元は信長と家督争いをした信行の家臣だったところを信長に許され、召し抱えられた人物である。おそらく信長は、「たとえ謀反を起こすような奴でも、有能な人材は手元に置いておきたい」という考えだったのではないだろうか。そのせいで周りを固められて四面楚歌状態になったとしても、それを打ち砕く運も力もあったため、信長は戦国時代を生き抜いてこれたのだろう。
それにしても、三日天下と言われた光秀をはじめ、信長を倒そうと躍起になっていた多くの武将たちが天下を取れず、結局天下を統一したのは信長を一度も裏切ることなく尽くした羽柴秀吉と徳川家康であったという事実は、二人に天下人としての器があったとはいえ、何か運命のいたずらのようにも感じてしまう。