理想の上司!?松平春嶽ⅰ

才能を見抜いて活かす名君の目”松平春嶽”
ペリー来航で国中が大混乱に陥り、「攘夷!?開国!?どうすればいいんだ!?」と幕府でも各藩でも意見が入り乱れていた幕末。そんな中で確固たる指針を持って積極的に動いていた藩の一つが越前藩でした。そんな越前藩を動かしていたのが、藩主松平春嶽(慶永)。春嶽は土佐藩主山内容堂、薩摩藩主島津斉彬、宇和島藩主伊達宗城(むねなり)とともに四賢候に数えられるなど、名君として有名です。越前藩は開国派として活躍した藩ですが、実は春嶽、元々は攘夷論者でした。ではなぜ攘夷論者であった春嶽が開国論者に変わったのか?そこに、春嶽が名君たる理由があるのです。
元は攘夷論者であった春嶽を開国論者に変えさせたのは、側近の中根雪江でした。攘夷論者である藩主に開国論を唱える中根もなかなかですが、部下に言われて「それいいね!」と意見を変えてしまえる春嶽は、この時代には珍しいほど柔軟な人物でした。かといってただ単に人の意見に左右されやすく、自分の意見の無い人というわけではありません。
そんな春嶽の有名な座右の銘が以下の文。

『自ら反(かえり)みて縮(なお)からずんば 褐寛博(かつはんばく)と雖(いえど)も吾懼(おそ)れざらんや。自ら反みて縮かれば 千万人と雖も吾往いかん』

これは孟子の書に「孔子が語った言葉」として書かれているものです。現代語に訳すと「自らを省みて反省するところがあるならば、相手が卑しい身分の者であっても恐れる。自らを省みて反省することが無いならば、相手が千万人といえども私は立ち向かう」といった意味になります。つまり、「自分が間違っていると感じれば反省し立ち止まり、自分が正しいと感じれば突き進む」と春嶽は言っているのです。
また春嶽は「我に才略無く我に奇無し。常に衆言を聴きて宜しきところに従ふ(自分には才能も知恵も不思議な力もない。常に人々の意見を聞き、良いと思うことに従うだけだ)」という言葉も残しています。
…つづく