2013年5月号

右のポケットに手を突っ込んでみた。何か硬貨のような丸い硬いものが手に当たった。全く記憶にない500円玉だった。そんな時、得したような気分になり少しだけ幸せな気分になりませんか?◆人混みで向かいから一人の人が歩いてきた。前を向いてない。携帯をさわっている。あれあれと思う内に肩がぶつかってしまった。そのときにその人は「ごめんなさい、申し訳ない」と謝罪してくれた。当たり前のことだけど、とてもほんわかした気分になりませんか?◆ラーメンが食べたいなと時折思う。そう思った瞬間に目の前にラーメン屋さんがあった。そしてそのラーメン屋さんがまた飛び抜けてうまかった。そんなときやったーと思ってプチ幸福感を感じませんか?◆部屋の中を整理整頓しているとき自分の思うように片づいた。ネクタイを締めたとき一発でぴったりの位置で締めることができた。暗がりで家の鍵穴にカギを差し込むとき、ドンピシャで鍵穴にカギは入った。こんな時って結構幸せに感じませんか?◆毎日車で通っている道路がある。そこを通行していていつも必ず赤で停車してしまう信号がある。でもその日はなんとすんなりと通行できたではないか。そんな時は思わず笑みがこぼれてしまう。◆車の渋滞中に自分の前で割り込もうとしている人がいる。その人のために前を空けてあげる。そのときその人が顔をこちらに向けて頭を下げていた。口元で「ありがとうございました」と言っているのが分かった。そんなときつい口にだして「いえいえどういたしまして・・・」と。自分の車の中はホッコリ、心の中もホッコリ。◆人は誰でもが幸せになりたいと願う。実は幸せは特別なことではなく、毎日の生活の中に何度も何度も出現しているはず。気の合う仲間と時間を共有できるとき。少しだけ美味しいものを食べているとき。本を読んで感動をしたとき。素敵な人に出会ったとき。そんなときも幸せを感じる瞬間ではないだろうか。それを「自分は幸せだ」と感じることが幸福度アップに繋がるのではないだろうか。◆しかし受け取るばかりではなく、自ら進んで小さな幸せを感じることはできないだろうか。例えば・・・◆人混みでぶつかったらこちらから「ごめんなさい」と頭を下げる。道を譲ってもらったら「ありがとう」と車の中で声を出してみる。電車の中でお年寄りに席を譲る。人が困っていたら「どうしましたか?」と積極的に声をかけてあげる。そうすると相手の人が幸せに感じてくれる。そして自分もなんだかホッコリとした気分になり幸福になる。◆「幸福感」というのはいただくものではなく、実は差し上げるなかで生まれるものではないのか。自分の気持ちを差し上げる時、自分の勇気や時間を差し上げるとき、そんな時に幸福を感じるのではないのだろうか。◆そうだとしたら私はもっともっと被災地に自分の時間を差し出さなければいけない。自分の気持ちを持って行かなければいけない。被災地のために何かをすることが、実は自分の幸福にも繋がることなのかもしれない。それは自己満足とも呼ばれる。すなわち自己満足と幸福感とは同義語なのか。それならそれでいいではないか、愛他精神であるならば・・・・。