2013年1月号

この文章が掲載されるのは2013年の一月号。本来であれぱ「あけましておめでとうございます」と書き出すべきなのだろうが、今は12月初旬、あまりにもリアリティがないので、普通に書き進めたいと思う。◆さて、今はウジャウジャと政党ができている最中。そして、こことここが引っ付いてこうなり、あそことここが・・・考えるだけで面倒になる。またそれぞれの政党の言っていることを聞いても、どこもが「脱原発」「原発ゼロ」「卒原発」、「消費税値上げ反対」「デフレ脱却」「景気浮揚対策」。どれもこれも耳障りの言い言葉ばかり。被災地のことは?被災地の人たちの雇用の問題は?被災地の将来図は?東北全体の将来の有り様は?仮設住宅の人々のことは?昨年の3月11日はどこかに消滅してしまったのか。◆しかしこんな政治にしてしまったのは私たち国民にも責任があるのではないのか。私たちは国や行政に求めているのは何か?それは「サービス」ではないのか?飲食店に入ったときに「いらっしゃいませ」と接客されて、黙っていてもお水とおしぼりが出てきて、お水をこぼしたら店員さんはすぐに走ってきて「大丈夫ですか?」とおしぼりで拭いてくれる。注文したものが出てくるのが遅いとクレームつければ「申し訳ありません」と謝罪も丁寧に、そしてすぐに注文したものが出てくる。そんなサービスを私たちは求めているのではないのか?◆私たち日本人が病気になる、あるいは怪我をする。そうするとその原因がどうであれ、ほとんどの人が保険を使って治療をすることになる。たばこをパカパカすって、暴飲暴食をして肥満になり、その結果肺ガンになった、胃ガンになった、そんな人でも保険で治療ができる。どんなに不摂生をしていも、病気になれば「保険」というサービスを受けることができる仕組みが日本にはある。所謂、皆保険制度だ。◆よくよく考えるとそのサービスはとてもいびつな面があるように思う。一生懸命運動をするためにジムに通い、ジョギングをしてそれなりの投資をする、その結果病気になりにくい体になる。そのような人の掛けたお金が、運動もせずに不摂生をして勝手に糖尿病になった人の治療のために使われる。それが今の皆保険制度の現実。不摂生をして病気になる人の治療費は自費にしてもらい、難病のハードルを下げて、「本当」の病で苦しんでいる人たちにもっと手厚くするのはどうだろう。◆病気には、食事に気をつけてそして運動をすれば退治できるものがあるはず。それにも関わらず私たちは無条件にサービスを求める。病気のことだけではないだろう。省エネに協力したら補助金を求める。生活に困ったら現金を求める。道路に穴があいていてパンクしたら行政の責任とする。学校内で子供が怪我をしたら学校側の責任となる。これらすべてが行政や政治のサービスとなる。知らず知らずのうちに、私たちは最高のサービスを政治や行政に求めようとしているのではないだろうか?◆アメリカのフィットネスジムの数は約3万軒、イギリスは6千軒、日本は3500軒というデータがある。人口比にしても日本がいかに少ないのかがわかる。これは何を意味するのか?私の想像ではあるが、アメリカは皆保険制度はない、自分の体は自分で守らなければならない、だから運動をする人口が多いのではないのか、と考える。◆皆保険制度が悪いと言っているのではない。私たちはこの日本という国を愛するのであれば、「自己責任」として自分で自分の健康管理ぐらいはしようよ。政治にばかり、他人にばかり責任を押しつけるのではなく、自分の責任も自分なりに明確にして、大人としての行動をしよう。そんな日本人が増殖してくれば、日本も「国民に媚びる政治」から脱却できるような・・・そんな妄想をする昨今です。