七代朝倉孝景
越前と言えば越前朝倉氏の名が思い浮かびます。朝倉氏の中で活躍した人物と言えば、第七代朝倉孝景と第十代朝倉義景だと思います。
今回は七代孝景について少し調べてみましょう。
室町時代に活躍した人物で3回も改名をしています。教景→敏景→孝景。むかしは、何か大きな功績をあげたり、重大なことが起こったりした時など改名をするなど改名タイミングがいっぱいあったんでしょうね。斯波家に仕える三老臣の一人となって活躍していました。応仁の乱以降、1471年に越前守護となって一乗谷に築城をはたします。
七代朝倉孝景(敏景)の一番の功績はやはり、朝倉孝景条々。朝倉敏景十七箇条ともいわれる家訓を制定したことでしょう。内容は世襲制を否定し人材の登用をうたう条項や、家臣の城下一乗谷への集住を定めたり、家臣団の統制、節約、民生の心得などを十七条の規定として定めたものです。大名権力が領国への直接支配を志向した条文が含まれており、台頭する戦国大名の意思がよく示されている内容となっています。
朝廷や室町幕府との繋がりも深め、越前を更に繁栄させました。一乗谷城に京風の文化を花開かせたと言われています。
越前はむかしから栄えていたんですね。