啓発録に書かれている誓いは5つ。その5つを紹介します。
- 去稚心
野菜や果物も未熟なものはうまくないように、稚心を捨てきれないうちは物事が上達しない。幼いうちには誰もが許される遊び怠け父母に甘えるような生活も、学問を志す十三四歳くらいになっても捨てきれないようならば、何事も上達せず、とても天下の大豪傑にはなれない。 - 振気
気とは、人に負けない心立てであり、恥辱を無念に思うことから生まれる意気張りの事である。振るうとは、常に自分と心をとどめて振るい立て振るい起こし、油断しないようにすることである。
人間の中でも武士はこの気を強く持っているものなのだが、平和な世が続いたことで武士が軟弱になってしまい、本当に嘆かわしい。 - 立志
志とは心のゆくところであり、自分の心が向かい赴く処をいう。志を立てるとは、志を定めたらその向きを変えず、その心持を失わないように持ち堪えることである。志の無いものは魂の無い虫と同じである。いつまでたっても成長することはない。志を一度持てば、それ以降は日夜少しずつでも成長していくものである。 - 勉学
学ぶとは習うということで、優れた人の善い行いの跡を辿って習うことをいうのであって、詩文や読書を学ぶことだと心得るのはおかしなことである。詩文や読書は学問の道具であり、刀の鞘や階段と同じようなものである。昔の歴史や今の時代のことをよく理解していなければできないことが多くあるのだから、読書して自分の知恵や知識を明らかにし、自分の精神や勇気を練り上げることが重要である。
しかし若いうちは物事を続けて行うことを嫌い、怠けてしまうものだ。努力するということは力を尽くしやり遂げるという意味合いをもつものであるから、努力を積み重ねることができないものは成功できない。 - 擇交友
同胞や同郷など、自分と親しくしてくれる人はどれも大切にしなければならないが、友人には損友と益友とがあるので、選り出すことが肝要である。損友には自分でその人を正しい方向へ向けてやらなければならない。益友には、自分から親しくして相談し、いつも兄弟のようにつきあうべきである。世の中に益友ほど有難く得難いものはないので、一人でも益友がいるならばとても大切にしなければならない。
益友というのは、自分の間違っていることを教え、厳しく批判してくれる。しかし、それゆえにとかく気を遣い、時折面白くないこともあるということを理解していなければならない。
英雄や豪傑のような人間になりたいのであれば、友人は選ぶべきである。以上が左内の啓発録の抜粋です。非常にストイックで考えさせられる内容ですが、左内はこの啓発録をなんと14歳の時にきしました。「自分はなんて駄目な人間なんだろう」と言いながらこの啓発録を書く14歳…恐るべし橋本左内、恐るべし江戸時代。現代の中学生がこんなことを考えられるでしょうか。
江戸時代には14歳で親元を離れて学問を志すことはよくある事だったのかもしれませんが、現代の14歳といえばまだ親の庇護のもとにいて当たり前な年齢です。昔の人は現代とは立場も環境も大きく違っていましたから、考えることが違って当然です。しかしこの左内の啓発録は、現代の日本人にとって学ぶべき点が多く、耳が痛くなるような内容ではないでしょうか。現在、福井県の中学校では立志式という人生の目標を立てる式を行い、左内の啓発録を教えているそうです。人生について考える機会を持てるのはとても素晴らしいことだと思いますし、若い時に啓発録を知ることができるのも良い勉強になることでしょう。中学校だけでなく、大人にも広く知ってほしい言葉です。